現在、当館の正面玄関前に、「埋没林」を展示しています。埋没林とは、何らかの原因によって、森林が地中や水中に埋没したもので、化石となった状態で発見される例が多いです。このたび展示している埋没林は、昨年7月2日及び9月6日、山形市桜田西5丁目付近の須川河岸から2本発掘したものです。なお、須川の埋没林は、すぐ上流の谷柏地区や黒沢地区、上山市宮脇地区でも発見されており、かつて山形大学が谷柏地区の埋没林の年代を調査したところ、約2万7千年前であることが判明しました。展示している埋没林も同世代と考えられます。
これらの埋没林は、エゾマツのような針葉樹林と思われます。エゾマツは主に冷涼な亜寒帯に分布していますが、2万7千年前は、最後の氷河期(第四紀の最終氷期=約7~1万年前)の最寒冷期に当たっており、年平均気温は現在より6~8度も低く、当時の山形盆地は現在の標高千メートルに相当するような寒い気候でした。山形盆地には、湿地や沼地がまだ広くあり、亜寒帯針葉樹が茂る森林になっていたと考えることができます。このころの山形県でも、旧石器時代の遺跡が発掘され、人間の営みが確認されています。また、ナウマンゾウなど、今は絶滅してしまった大型の獣も県内に生息していた時期です。
では、どのようにして埋没林ができたのでしょうか。このことについては、当館職員の長澤一雄学芸員が「山形市須川河床に現れた後期更新世の埋没林の発掘」(『山形県立博物館研究報告』40号/2022年)にまとめています。そこから紹介しますと、まず埋没林として残った部分は、川岸の地層などから見ると、シルトや泥炭層の中に保存された部分であったようです。当時は、まだ湿地や沼地が多く、粘土層の堆積があって、それが乾燥して土壌が形成され、樹木が生育していたと思われます。しかし、何かしらの原因で環境が変化して冠水したため、樹木は死んでしまいましたが、泥炭層で覆われた部分は保存され、泥炭層ではなかった部分は乾燥や風化などで失われ、その上に河川の礫が堆積したと考えられます。やがて、河川等の侵食によって、覆っていた砂礫や泥炭層などが取り去られ、須川の河床に埋没林が、化石樹木の状態で出現したと思われます。
須川の埋没林は、旧石器人の活動の早い時期における、山形盆地の気候、環境や、大地の成り立ちを知る手掛かりになる貴重な資料と考えられます。例えば、発掘してみたところ、いずれの埋没林も根は浅く、側方へ太い根を発達させていました。このことから、当時の地下水位が高かったことが推定できました。
気候変動や自然災害などによって、亜寒帯から現在のような自然環境へと変わっていきました。埋没林は、これまでの自然環境の変動を物語っています。また、厳しい自然環境に耐えながら、2万年以上も存在し続けた埋没林に、自然の力強さを感じ取ることができるのではないでしょうか。